2018-29,30 美学への招待
佐々木健一 著『美学への招待』読了
私はビートルズがよくわからない。いや、普通に好きだし、かっこいいと思う。しかし、音楽雑誌や私の周囲の扱いをみていると、ビートルズは他のロックバンドとは一線を画すもののようだ。ロックの歴史を考えたときに、特別な位置を与えられるべきバンドだというのならわかる。しかし、そういうノスタルジーだけでなく、今でも若い人たちの心をとらえ続ける特別な魅力があるらしい。その特別なマジックの部分が、私にはわからない。私にとっては、ジミヘンやドアーズ、ブルーハーツやあぶらだこの方が特別な突き刺さり方をするからだ。
そんなわけで、あるとき、私には音楽的センスがないと結論づけた。私の周囲の、私なんかよりよほど音楽に詳しい人たちがこぞってかかっているらしいビートルズのマジックに、私はかかれないのだから。
ビートルズ問題はこうして無理矢理決着をつけたのだが、ビートルズに限らず、世の中の大概のことで、好き嫌いが分かれる。それは考えてみれば不思議なことでもある。
昔、大学の講義で「花を見て美しいと感じるとき、その美しさはどこにあるのか」という課題を与えられたことがあった。意見は大きく分けて、美は外在する(花の側にある)派と内在する(美しいと感じる心の中にある)派に分かれた。この講義がどのように締めくくられたのか、全く憶えていないが、もともと芸術に興味があった私は、それからも時々、「美」について考える癖がついた。
ロンドンオリンピックのときだったか、卓球の石川佳純選手がまるでストⅡの春麗のようにピョンピョン飛び跳ねて、勝利を噛みしめるという場面があった。たまたまそれを観ていた私にも、何だかグッとこみ上げるものがあった。大仰に言えば、その姿は美しいなと感じた。そのとき思った。しかしながら、私はいわゆる萌え的な媚びるような仕草はあまり好きではない。そういう仕草の中には、葉蔵が指摘されたところの「わざわざ」と同じ臭気を嗅ぎ取ってしまう。石川選手の勝利の仕草は、それだけを取り上げれば春麗のアクションに採用されるくらい、媚態であったにちがいない。しかし、私はそこに臭気を感じなかった。それは思わず知らず溢れ出したスッピンの動作だったから、私にも彼女の勝利の喜びが、混じりっけなしに伝わってきたのではないか。そんなふうに考えた。
それで、私は私なりに「美」を定義した。あらゆる作為から独立して在ること。なかなかよさそうに思えたが、この定義ではいわゆる芸術作品の美しさは説明できない気もした。あらゆる作品は何らかの意図(作為)を以て制作されるものだからだ。そのへんのモヤモヤを解消したくて本書を手にとった。
本書は大変おもしろかった。ここ10年位の間に急増してきた、論文をかき集めてまとめただけで一冊できました的な新書ではなく、著者の血の通った言葉で、しかも読者に届くようにと配慮された言葉で綴られた新書だ。著者自身が格闘した知の痕跡が随所に感じられる名著だと感じた。
あまりにおもしろかったので2回読んでみた。2回目は久しぶりノートを取りながら読んだので、今回は、感想に変えてノートをここに残すことにする。
『美学への招待』ノート
・センス…全体的かつ総合的な判断力
・下級感覚…嗅覚、味覚、触覚
→接触することで機能する
・上級感覚…聴覚、視覚
・言語(特に初期のもの)は五感の延長
→「逃げろ」「集まれ」など
・芸術…各感覚のうちのひとつを特に限定して使うもの
→絵画=眼、音楽=耳、詩=言語
→「芸術」とは感覚を非身体的に用いることと云える
・美学…美と芸術と感性についての哲学的な学問
・18C(近代)の美学は特に「芸術」に重きをおいて展開してきた
・museum…博物館 / 美術館
→教育を含む知的活動のための原物資料の収集と展示を行う施設
→「原物」という点で図書館と異なる
・原物資料の内…
美術品を収蔵するところ→→→→→美術館
それ以外の資料を収蔵するところ→博物館
という区分が一応ある
・「ミュージアム」…これまで芸術とは見なされてこなかった周縁的な現象を芸術に近づけ、芸術
に近づけ、芸術とクロスオーバーさせるという意味合いを持っている
→逆に伝統的な芸術領域が崩れつつあることを示唆している
・芸術の範疇…文学、美術(絵画、彫刻)、音楽
→近代になって定着した概念
・タイトル…作品をしかじかのものとして見よ、という命令.作品の解釈への方向づけ
→作品がひとつの精神性を持っていることを前提としている
・アート…それまでの「芸術」とは異なる基軸を持ったものという意図が含まれる言葉
→しかし、西洋では「芸術」も「アート」も「art」であり、区別されない
・1950頃には、芸術を一つの概念として定義することは不可能になっていた
→ネルソン・グッドマン:「〈artとは何か〉という問いは、もはや成立しない。〈いつartか〉と
う問いが正しい問いである」
・近代になり、芸術は「作品」になるとともに「商品」になった
・作品…独特の精神的な内部を持ち、その内部ゆえに作者と絆をもち、ある程度まで人格と似た
ような在り方をしている個性的な作物
・科学技術が生み出したコピーという存在は、〈何が正しい鑑賞法か〉という問いを生み出した
・複製…①マスプロダクションとしての複製(複数化)…映画など
②オリジナルのコピーとしての複製………………印刷など
・ベンヤミン:『複製技術時代の芸術作品』
・複製により貧困層にも芸術が普及するようになった
・「音質の悪いライブ」と「音質の良いCD・DVD」では、どちらが芸術鑑賞として質が高いか?
・本物の『モナ=リザ』などを観て「これ知ってる!」と喜ぶのは再認の喜びである
→われわれの経験の上では、複製されたものを通しての経験の方がオリジナルとなっている
・われわれの経験は複製からはじまり、その後にでオリジナルに接することが多い
・われわれの経験の中で、直接体験が最初に来るケースはほとんどない(旅行など)
・複製を否定することは、現代においては文化を否定することに等しい
・high fidelity:高忠実度
→オリジナルと質的に等価な複製
・小林秀雄の体験
→“モオツァルト”の曲が、突然頭の中で鳴った。その直後レコードを聴いたが、頭の中で鳴ったモ
オツァルトの方が凄まじかった
・オリジナルの経験が必ずしも優れているわけではない
→コピーでの体験だからといって、その体験で得られた感動がニセモノであるとはいえない
→ニセモノの芸術体験は可能か?
・美意識…芸術作品を体験しているときの意識のなかで起こっていること
→心の中で起こることが問題なら、オリジナルか複製かという違いは、体験にとっては第二義的
な意味しか持たない
・複製の体験は個人化し、体験の様式は自由的なものになる
・西洋近代の芸術制度は、美術館とコンサートホールに代表され、このいずれもが公共的体験の
場所である
・拍手は体験の共同性を確認する行為
・ひとは社会的な存在で、交わりを欠くとき心を病む
→複製に伴う自由的体験はその傾向を助長している可能性がある
・オリジナルの持つ公共性は社会の健康を回復させるはたらきがある
・パブリック・アート…古い芸術にも同様の様式はあるが、「公共」という意図/問題意識を持っ
た点が斬新
→芸術の公共的な在り方が時代の課題として注目されていることを物語っている
・単語の持つ「意味」の側面を概念と呼ぶ
・概念の内容…単語の意味の成分を分析的に取り出したときのその集合
・概念…①個人的な概念
②集団的な概念≒common sense
・近代の「芸術の概念」…文学・演劇、美術(絵画・彫刻)、音楽の総称
・「似ているということ」と「似ているものを一括するということ」は異なる
・aesthetics:美学
→aesthetic:美的、感性的
美的…美的範疇(優美、崇高など)を含める言葉
感性的…美的概念(醜悪、下劣など)を含むことができる言葉
・美、美的(美的範疇)、感性的(美的概念)は同心円状に並ぶ
・美的=芸術…芸術家が担った概念
・感性的=アート…芸術家以外(例:アスリートなど)も担うことができる概念
・芸術→アートの動きは芸術の退廃に通じる?
・スポーツの脱倫理化(心身鍛錬としてよりもパフォーマンスとしてのスポーツ)
・芸術の脱artistic(技倆)化
→共に感性的なものへと向かう動き
・スポーツはパフォーマンスの芸術とみなせる
→演劇、音楽、舞踊などと同じ
・スポーツ≒アート、アート≒芸術のとき、スポーツ≒芸術が成り立つ
・有形のもの=素材(質料)+かたち(形相)
例)レンガ = 土 + 長方形
家 = レンガ + 家の形
→ ひ と = 肉 体 + 精神
・質料と形相という考え方は、ギリシアにもヘブライにも共通の考え方だった
・ギリシア思想
→アート(技倆)①高級…体育
②低級…肉体労働、造形芸術(手(肉体)による仕事)
・日本でも肉体の芸術である歌舞伎などを「河原者」と蔑んでいた
・遠近法の精神…画家に純粋な眼であることを要請する→デカルトの二元論(心>身)
・TVゲームをしているとき、画面に合わせて体が動く
→ある特殊な状況においては、眼で観ることは眼球だけでなく全身を巻き込む
→平静に観ているときは「平静なあり方」として身体は巻き込まれているのかも
・世界的存在…相互に同じ高さで混じり合う人びとの結びつき。また、自然や都市の環境との関
係にしても水平的に関わる世界観に根ざした考え方
地動説 |
天動説 |
水平的関係 |
垂直的関係 |
自然に対して対等な身体感覚 |
自然(宇宙=神)に対してちっぽけな私 |
近代的 |
・庭園は建築とともに身体的な鑑賞法を要求する芸術ジャンルである
→単に見るだけでなく、その中を散策することを要求されるってこと?
・ジラルダン:「庭園とは風景の構成である」
・曲がりくねった小径を歩き、暗い空間から明るい空間へ(あるいはその逆)出るという体験は、身
体の拡張(あるいは収縮)であり、色調の変化は心理の拡張(あるいは収縮)であるといえる
・リズム…身体的なもの。身体がそれに乗って動いてゆくような時間秩序
→呼吸
・遠近法に代表される近代の芸術は身体感覚を喪失している
→身体を単なる物体とみなすデカルト哲学と相関すると思われる
・近代美学の主要論点に「観賞論」がある
→正しい観賞の態度として「美的態度」が説かれた
・美的態度…行動と結びつかず、ひたすら観賞的な態度
→静物画のリンゴを食欲の対象としない。悪役の俳優に殴りかからない
・言語ゲーム…未知の言語であってもその言語は何らかのルールに則っている。ゆえにそのゲーム
に参加していると、そのルールが次第に習得できる
・美的態度は、しかし《泉》には対応できない
・不条理演劇の代表的な作家
→サミュエル・ベケット、ウジェーヌ・イヨネスコ
・不条理:absurd(英):「バカバカしい」の意
・現代美学は作者の意図とは無関係(作者の意図は重視されない)
→作品自体がもつ固有の「意図のようなもの(in-tension)」のほうを重視する
・in-tension…作品の内部にみなぎる独特の緊張
・作品のin-tensionを捉えることは言語ゲーム的である
・近代において芸術品は作品であると同時に商品でもある
→商品の側面は作家も観賞者も見ないふりをしている
→ウォーホルは商品的側面に光を当てた
→美術概念への挑戦
・再現型の美術においては、その像を保存し、伝えるに値するようなものが美術的に再現される
→つまり、そもそものモチーフ自体が美術的に表現する価値を持っている
・《ブリロ・ボックス》
→作品の美的品質は問題ではない
→作品が哲学的な問題提起をしていることが重要
・芸術の終焉:ダントー
→「ここで芸術は知覚されるべきものから考えられるべきものになった。(略)芸術は哲学になり、
その歴史的な使命を終えてしまった」
・現代の芸術
→一面で知覚的な探求の領域を広げながら、他方で哲学的な(=美学的な)次元に入っている
→「芸術史を識らなければ、芸術はわからない」:ダントー(「アート・ワールド」)
・歴史の中でさまざまな表現が試されてきたために、芸術の選択肢が狭くなってきた
・文化の中で芸術は「制度」とも呼べるような安定性な位置を獲得してきた
→こうした状況へのカウンターとして《泉》や《ブリロ・ボックス》の出現
→純粋に観て楽しむ芸術ではなくなった(現代芸術の誕生)
・ダントーにとって《ブリロ・ボックス》は、芸術と非芸術(普通の存在物)を分けるものは何か
という問いの結晶化したものであった
→しかし、「わたくし(著者)」にとっては既に知られた問いに対する図解に過ぎない
・巨匠たちの作品…観るたびに感銘を与えてくれる「永遠の芸術」
・ブリロ・ボックス…歴史的ドキュメントのようなもの
→ギリシア彫刻は永遠の芸術?芸術作品として優れている?それとも歴史的に貴重な遺品?
・近代美学は「永遠型の芸術」をモデルとして構築されてきた
・永遠型の芸術…感性的な像の中に思想的なものを込め、精製した像によって魅惑するとと
もに思想も現出させる
→こうした像の力を「美」と呼んだ
・近代の芸術…永遠型の芸術、感性の芸術
・現代の芸術…問題提起型の芸術、観念の芸術
・革命的な新様式は観賞者の知覚を変革する
→更新された知覚は、かつて目新しかった様式の作品も受け入れるようになる
・しかし、《ブリロ・ボックス》(=問題提起型の芸術)は知覚ではなく観念の変革であった
→観念は一度理解されれば、もはや知覚装置を必要としない
・分析美学の主要テーマ…芸術の定義
→永遠型の芸術と問題提起型の芸術を同時に満足させるような定義は難しい(不可能?)
・そこでダントーは「何が芸術であるかはアート・ワールドが決める」と定義した
・アート・ワールド…芸術に携わる専門家の集合体(芸術家、評論家、学者、ジャーナリスト、
学芸員など)
・この定義は、民主主義のプロセスに似る。あるいはギルド・モデルに似る
・ギルド・モデル…一般社会から独立した独自の支配権を認められているミクロな社会
・問題提起型の作品…主にギャラリーで扱われる
・永遠型の作品…主にオークションで扱われる
・芸術においては古典が好まれ現代が軽んじられる傾向がある
→この傾向の一因として美術館の設立が挙げられる
→美術館…コレクション(主に古典)にいつでも会える
→古典への親しみが増す
・アカデミー・ザ・ボザール:ルイ一四世が設立
→画家や彫刻家の団体。教育機関でもあった
・17Cより展覧会開催
・18C中頃より定着@ルーブル宮のサロン・キャレ(「方形の間」)
→通称、「サロン展」
・一般にも無料公開
→当時の人びとは最先端の美術に親しむことができた
→今の映画やポピュラーソングのような状態だった
→最先端の美術を扱うアカデミーの中から革新的な表現が生まれていた
・古典の人気、現代の不人気という状況は、言ってみれば不自然
→不自然な状態を生み出すには何らかの思想が必要
・ルネサンス様式…一様な光が画面全体を支配している
・バロック期………劇的な陰影の効果(カラヴァッジョ、レンブラント)
・現代芸術における「新しさ」は芸術のイデオロギーによって要求されるもの
→作家自身が表現の必要からたどり着くものではなくなった
・新しさ…創造性のしるし。芸術にとって何よりも必要なこと
・手ではなく精神の創造性が問題になるなら、論理的な裏付けが必要になる
→近現代では「芸術論=美学」的な新しさを重視
→19C以降の優れた芸術家の多くは独創的な芸術論の著者でもある
・「芸術」…西洋近代において成立した芸術概念を古代や異文化の世界に適用したもの
→例)仏像は芸術作品としてつくられたものではない
・西洋近代において成立した芸術概念…実用的な目的を持たず、特に現実世界の模倣であり、背
後に精神的な次元を持ち、それを開示することを真の目
的とした活動
→つまり、作品には背後がありその背後こそが作品を芸術たらしめるってこと
→主役が作品から作者へ移る
・文学作品
・まず単行本(装丁バラバラ)→その後、全集(装丁統一)
→全集…作者という概念の下に統一される
・理論と一体化した芸術=芸術の自己意識化
・このような概念があるため、芸術の理解には精神(背後)の変遷の理解が必須
→芸術史が必須
→ただし、こうした概念は近代以降に成立したもので、歴史的に普遍的なものではない!!
・「うつくしい」…「いつくしむ」の派生。可愛らしいものの形容
・「美」…生贄の羊が大きい様子。立派なもの、見事なことの形容
→「うつくしい」に「美」という漢字を当てたことには、少しズレがある
・見て直ちにわかる「善さ」=「美しさ」
・何かを作るときには、普通「美しい」結果を求めて作業する
→しかし、設計図通りに造りあげても、それが美しいかどうかはわからない
→つまり、美は設計図の外にあるもの
・美は作り出されるというより、恵みとして与えられるもの!
・既成の価値観が崩壊したとき、ものの善し悪しは「美」によってしか測ることができない
・transhuman超人間…人間中心主義という近代文明の本質を批判の対象とする概念
・人間中心主義
①人権宣言…神という超越的な調停者なしに人間同士が協調して生きてゆくための基礎哲学
②産業革命…人間の生活の安寧を図るための運動の狼煙であり、自立した人間の創造力が向か
う大きな目標
・文明と自然
・文明…素材を変革する計算的理知において敏捷なもの
・自然…素材を変革する計算的理知に無関心なもの
・transhumanとは、人間が自然の一部であることを再認識すること、及び人間以上に偉大なも
のが存在することをわきまえること
・近代美学=芸術哲学=近代文明そのもの
→「自然模倣」という前近代の理念を捨てることで得られた理念
・transhumanの美学は自然の美を見据えるもの
→芸術美でさえ計画して得られるのではなく与えられるもの
→人間の力は美に届かないことを知れ!?