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本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

2018-32 埴谷雄高 独白 「死霊」の世界

埴谷雄高 著『埴谷雄高 独白「死霊」の世界』読了

本書は1995年にETV特集で放映された同名の番組を書籍化したもの。埴谷自身が『死霊』について自己解説をした番組だ。

埴谷雄高ゆらゆら帝国坂本慎太郎)には共通点があると思う。そして、その共通点に私は惹かれているのだと思う。その共通点とは、幼い頃の感覚だ。石ころや電柱は生き物ではない。そう頭では理解していても、それは単に私たちが知っているかたちで生きていないだけで、石ころたちは石ころにしかわからない言葉で考えたり話をしたり、しているんじゃないか。そんな感覚。大人たちは知らないうちに怪人に乗っ取られて、自分の知っているひとは、実はもうどこにもいないんじゃないか。そんな感覚。便所へ続く廊下の裸電球の光が届かない暗闇の中に、ボクのことをじっと見つめている何者かの気配を感じる。そんな感覚。

大人たちに話しても聞いてくれなかった。そのうちにそうした感覚に自分で蓋をしてしまった。蓋をしたほうが生きやすいことを学んでしまった。

しかし、そうした感覚を完全に封印できないひともいるようで、私もそのうちのひとりなのだろう。『死霊』やゆら帝の楽曲のなかに宿っているその種の感覚を受信してしまう。

埴谷雄高は、「オトナ」たちからすれば滑稽かもしれない感覚から出発しながらも、それを徹底的に理論化して示そうとした。それははじめから不毛なこと、不可能なことだと知りながら、人類の想像力の限界を広げることを目指して、途中病気による中断がありながらも、およそ50年間に亘って『死霊』を執筆し続けた。残念ながら『死霊』は未完に終わったが、その作品は、比類なき堅牢さを誇る建築のような佇まいをまとって遺された。

難解な形而上小説『死霊』。今まで何度弾き返されたかしれないが、それでも読みたくなる魅力を持っている。埴谷自身の言葉を手がかりにして、また『死霊』の重厚な扉を開けてみたいと思う。

埴谷雄高・独白「死霊」の世界

埴谷雄高・独白「死霊」の世界