何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

リリーのすべて

リリーのすべてトム・フーパー監督、観了。

 世界で初めて性別適合手術を受けた、リリー・エルベを描いた映画。学友の紹介で本作を観る運びとなった。

美しい映画だった。

 昔、長距離バスに乗っているとき、ふと「女と死体。男にとってより近しいのはどちらか?」という散文めいたものが降ってきたことがあった。この映画を観て、そんなエピソードを思い出した。併せて、独りでいるときよりも、二人でいるときの方が孤独が深まる時がある。それに似た逆説を思った。心が女性である男性は、身も心も男性である男性に比べて、死体よりも女性に近い存在に思える。しかし、女性に近い分、より自分が女性から遠い存在に感じられるのではないか。そんなリリーの心の内を想像した。

本作は、しかし、アイナー・ヴェイナー(リリー・エルベ)の物語である以上に、アイナーの妻、ゲルダ・ヴェイナーの物語であったと感じた。

 アイナーが男性と女性の役割を曖昧にする存在だとしたら、ゲルダは妻(家庭)と画家(社会)の役割を曖昧にする存在だと思えた。画家としてパッとしなかったゲルダは、リリーをモデルに描くことで、画家として成功を収める。しかし、リリーを招く度に、夫の中からアイナーが失われてゆく。

芸術家は、既成の価値観に揺さぶりをかける役割を担っていると思う。アイナーは鏡に写ったリリーの美しさによって、ゲルダは女装したアイナーを美しく描くことによって、「男と女」、「家庭と社会」という線引きに揺さぶりをかけた。「美」をエンジンとして既成の価値観を突き崩す。それは画家として、とても正しいことなのではないか。

さらに、ゲルダは、アイナーが失われてゆくことに戸惑いながらも、愛するアイナーのために、リリーを支える。その人を丸ごと受け入れること。その意味でも美しい映画だった。

 本作はまた、デンマークコペンハーゲンから始まるが、アイナーとゲルダが暮らす部屋の撮り方が、同じくデンマークの作家、V.ハンマースホイの絵のようで、絵的にも美しい映画だった。

リリーのすべて (吹替版)
 

  ちなみに私が観たのは吹き替え版である。Amazonビデオでは、吹き替えと字幕は別のタイトル扱いになる。私は、10年位前から、吹き替え派になったになったので、まずは吹替版から観ることにした。