何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

2018-22 ストラディバリとグァルネリヴァイオリン千年の夢

中野雄 著『ストラディヴァリとグァルネリ ヴァイオリン千年の夢』、読了

 兄弟子の推薦図書。

 天才バイオリン職人、アントニオ・ストラディバリ。奇才バイオリン職人、グァルネリ・デル・ジェス。2人を中心に、バイオリンという楽器の魅力を記した一冊。

 著者によれば、バイオリンは魔性の楽器なのだという。中でも、ストラディバリウスには、霊的な力さえあるという。私は現在、努めて唯物論的に世界を眺めようとしているので、そういう語りには、少し警戒してしまう。

 人知を超えた現象や存在を否定しようとは思わない。しかし、そのことは、それらの現象や存在を、なるべく人知の中に取り込もうとする努力を怠っていいということを意味しない。

 本書を読みながら、何かを論じようとするときの、姿勢について考えた。例えば、対象のもつ熱量を、余すところなく伝えようとする姿勢。また例えば、対象という熱源から、ある程度離れて、対象の全体像から浮かび上がらせようとする姿勢。

 本書は前者の姿勢で記されている。著者はバイオリンを愛していて、本書にはその愛が溢れんばかりに詰まっている。バイオリンにまつわるよもやま話がたくさん紹介されていて、読んでいて飽きることはない。

 例えば、チェロを含めた、バイオリン属の楽器は、そもそも、人の声を楽器で作ることを目標としていたらしい。私はあらゆる楽器の中でチェロの音色が一番好きで、その話を知り合いの声楽家の方にしたら、チェロの音色は人の声に近いから、そこに惹かれるのではないか、と教えてもらったことがある。でも実は、チェロの方が人の声に歩み寄っていたことを知って、興味深かった。

 ただ、本書を読んで、著者がどれほどバイオリンを愛しているかは理解できたが、私自身がバイオリン愛に目覚めたかと問われれば、心許ない。それは、やはりバイオリンの魅力を「魔性」や「霊的」という言葉に集約させてしまった点にあるように思われる。なぜバイオリンが魔性を持ち、ストラディバリウスは霊性さえ獲得したのか、そこに私の興味はあったし、著者もその点に触れてはいる。しかし、最終的にはバイオリンに対する愛が、徹底的な解明の眼を鈍らせているように、私には思えた。

 以前、『とめられなかった戦争』加藤陽子著の感想を書いたときに、次のような文章を引用をした。

近代史をはるか昔に起きた古代のことのように見る感性、すなわち、自国と外国、味方と敵といった、切れば血の出る関係としてではなく、あえて現在の自分とは遠い時代のような関係として見る感性、これは未来に生きるための指針を歴史から得ようと考える際には必須の知性であると考えています。

 ここで述べられている「知性」のあり方は、近代史を見るときにだけ求められるものではないと思った。何かを論じようとするときにも通じるあり方だと思った。

 といって、情熱を持って語ることが悪いというわけではないとも思うので、何かを論じようとするときの態度には、ある種の「魔性」が秘められているのかもしれない。