何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

恋は雨上がりのように

 TVアニメ『恋は雨上がりのように』を観た。

 私はひねくれた人間だ。どれくらいひねくれているかというと、自分がひねくれている自覚がないくらい、ひねくれている。

 自分が病気である自覚のことを「病識」という。医療者にとって、病識のない患者は最も重症だという。自分が病気であるという自覚がないのだから、治ろうとしない。治ろうとしない病人は、いくら名医だとて、治しようがない。

 つまり、私は重症のひねくれ患者だ。だけど、この作品は、そんな私をして、これ以上ないくらい素直な気持ちにさせてくれた。あまりにも感じやすいから、普段は「ひねくれ」という殻で大切に守っている部分に、やさしい痛みを与えてくれた。

 『はじまりのうた』という映画がある。すばらしい映画だ。音楽を通じて出会った人たちが、傷つくのだけれど、また、音楽によって再生する。『恋は雨上がりのように』では、ひとりの少女の恋が、それぞれ立ち止まったままの、彼女自身と恋した相手を再生する。

 ストーリーはもちろん、セリフ、アニメーション(動画)、演出、背景、色彩、音楽、音響効果などなど、すべてが見事に調和して、物語を息づかせているように感じた。

 すばらしい映像体験だった。この時代に生まれ、この年齢で、この作品を観れたこと、そして、この作品を制作して下さった方々に、これ以上ないくらい素直に、「ありがとう」と伝えたい。