25冊目 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(Kindle版) F・K・ディック 著 / 浅倉久志 訳、読了
『ブレードランナー2049』を観に行くに当り、『ブレードランナー』(ファイナルカット版)を復習していたのだが、やはり私にとっては、少し難しい映画だった。ひとつのシーンに対する解釈が多様で、ボーッと観ていては、容易に置いて行かれていしまう。それはさながら哲学書を読んでいるときのようだ。
そんなわけで、映画だけでは歯が立たないので、原作を読むことで、映画を補完してみようと思い、本書を手に取った。本当は『2049』を観に行く前に読み終えたかったが、映画館には行けるタイミングに行っておかなくては、ということで本書の読了の方が遅れてしまった。残念。
本書を読んで、一番感じたのは、原作は、映画版とは大きく異なるということだった。例えば、映画版では主人公デッカードは、一人暮らしをしているが、原作では夫婦である。レイチェルの人物像も映画版とは大きく異なるし、ストーリーもかなり違っている。最大の違いは、「異世界環境下でも作業できる人型(ヒューマノイド)ロボット」のことを、「レプリカント」ではなく、「アンドロイド」と表記していることだろう。
デッカードが、人間かアンドロイドか曖昧になる部分は、映画『フライトプラン』のように、デッカードが正しいのか、デッカード以外の人びとが正しいのか、読者にもわからなくなるサスペンスな展開で、読んでいてクラクラした。
映画を観ているだけでは、人間以外の生物が、事実上滅んだ世界が舞台であることなどを、いまいち掴めていなかったが、そのように原作を読むことで補完できるところもあった。ただ、今回の読書では、やはり映画版との違いのほうが、際立って感じられた。
例えば、見た目も、栄養価も、味も本物のリンゴと少しも変わらない、ただし科学技術によって作り出された、人造のリンゴがあったとしよう。それを「リンゴ」だと言っていいだろうか?少なくとも、「人造リンゴ」と銘打ってなければ、我々には気づけないくらい精巧なもので、食べても、リンゴを食べたのと、寸分たがわぬ生理学的影響を与えるものだとしたら…。リンゴとそれの違いはあるのだろうか?それがリンゴではなく、人間だったら?工場で生産されたそれは、人間と寸分たがわぬ姿かたちをし、能力的にも等しい。何もかも人間と違わない。ただ出自だけが異なる。それは人間と思っていいだろうか?その辺のところが、映画にも共通するテーマだと感じた。
少しでもわかりにくいと視聴率が取れないため、わかりやすさを至上とする昨今、繰り返しの鑑賞に耐え、鑑賞する度に味わいが増す骨太な作品は、それだけでありがたい。もっともっとブレランを摂取して、より深いところまで潜れるようになりたいと思う。
- 作者: フィリップ・K・ディック,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/08/01
- メディア: Kindle版
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