何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

ブレードランナー2049

ブレードランナー2049』 ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督を観た。

 私が年間、映画館に足を運ぶのは、ほんの数回程度でしかない。だが、本作は劇場で観ないわけにはいかんでしょう!! 

 とはいえ、私は「ブレラン上級者」というわけではない。前作はまだ4回しか観てないし、その何れもファイナルカット版だった。『ブレードランナー』の奥深い世界を味わうには、まだまだ長い道のりを要する「ブレラン初心者」である。

 どちらかと言うと、『GHOST IN THE SHELL』や『AKIRA』に親しみ、その先祖としての『ブレードランナー』に敬意を抱いているという方が、今回、劇場に足を運ぼうと思った正しい動機だろう。

 そんな初心者の私だから、的を射たものになるわけはないが、初めて観たフレッシュな感想を書き残しておこうと思う。

 私はネタバレを嫌う方ではない。ネタバレをされても、いい映画なら何度でも鑑賞に耐えられると思っているからだ。でも、『ブレードランナー2049』に関しては、珍しく何の事前情報も入れずにいた。どれくらい何も知らない状態だったかというと、映画館に入るとき、ロビーに貼ってあるポスターを観て、初めてR.ゴズリングが主演っぽいこと、H.フォードが出演するらしいことを知ったくらいだ。

 ブレランを一言でまとめるほど、罰当たりな所業はない。とは知りつつ、敢えて一言でいうと、前作は「人間だと思っていたのにレプリカントだったのかも知れない」というのが主題だったとすると、本作は「レプリカントだと思っていたのに人間だったのかも知れない」という、反転した主題を描いているのだと思った。その後、幾つかの『ブレラン2049』評を見聞きするにつけ、この解釈はあまり筋がよくないことがわかったが、とにかく、初めての映画体験では、そのような誤解をしていたことを、ここに記しておきたい。

 ただ、本作の主題はこれだけではない、というか、割りと早い段階で「レプリカントか人間か」という主題だけが、物語を駆動するエンジンではないことがわかった。ジョイ、ラブ、デッカードなど、主人公以外の登場人物にも、それぞれ主題があり、それぞれがエンジンとして物語を駆動する役割を持っている。つまり、これは主人公Kだけの物語ではなく、複数の登場人物を照らしだす物語だ。

 それ故、およそ3時間の超大作だが、弛んだところはなく、前作への敬意がふんだんに感じられた。本作の賛否は大きく分れていると聞くが、私は賛の側だった。前作も含め、ブレランを、繰り返しくりかえし観たいと思えたのだから。