何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

22冊目 アーティスト症候群

『アーティスト症候群』 大野左紀子 著、読了

 「カエサルの休日」の中で、パーソナリティのお一人であるダニエルさんが、紹介されていたので手に取った。

 読み終えたのは3ヶ月以上前なので、はっきりとしたことは覚えていないが、なぜ「芸術家」ではなく「アーティスト」と名乗りたがる人が多いのだろう。「芸術家」には敷居の高さや重苦しさがあるのに、「アーティスト」って響きもオシャレだし、軽やかだ。でも、「アーティスト」を名乗る人たちって、実際どんな人たちなの?

 本書は「芸術家」ではなく「アーティスト」を名乗る人たちの自意識を、シニカルに批判する。「アーティスト」は自称であり、ほとんどが「ニセモノ」だと言わんばかりだ。特に芸能人で「アーティスト」を名乗る人びとに対しては、かなり厳しい語調で批判している。覚えている限りでは、松田聖子ジュディ・オング八代亜紀工藤静香石井竜也藤井フミヤ片岡鶴太郎ジミー大西などがその対象だ。彼らの作品を通じて、ほとんど人格攻撃とも受け取れるような批判もあった気がする。「絵なんか描かずに与えられた歌でも歌ってればいいんだよ!」くらいの勢いでディスっていたと記憶している。

 こうした忌憚のない厳しい批判に晒されるのが、もしかしたら本物のアーティストなのかもしれないが、それにしても、インターネットで得ただけの情報や著者の印象を基にした批判もあり、質の高い「批評」を読んでいる気持ちにはなれなかった。

 本書はアーティストを自称する人びとの自意識の恥ずかしさを、ニヤニヤながら味わうところに醍醐味があるのだろう。でも、私は著者の毒舌には、いまいち乗れないまま読み進めていた。しかし、私は、同じように辛辣で毒のある物言いをする立川談志が大好きでもある。そんなわけで、途中から、なぜ談志には乗れるのに、本書には乗れないのかを、読みながら考えることになった。

 談志の方が毒舌家として優れているとか、批評眼があるとか、そういう質的な問題ではないと思った。本書にも「なるほど!」と新しく学ばせてくれる部分は多分にある。

 談志は確かに、落語家仲間に対して、一見、口汚く罵っているとしか思えないような発言をすることがある。だが、談志と著者の一番の違いは、談志は同時に自分自身もプレイヤーであることだ。観客(読者)に対して、談志自身もまた丸裸で談志のような眼に晒される位置にいる。

  一方、著者は「アーティスト」を批判しているが、自分は批判されない位置にいる。著者が批判したような眼に、著者自身が晒されているわけではない。少なくとも私は著者のこれまでの活動を知らないため、どんな人物なのか知らない。どんなことを思って、このような言葉を綴ったのか知る由もない。つまり、本書のみをもって著者の人となりを思しかなく、その結果、ただ他者を揶揄するだけの嫌味なひと…それでは乗れるわけがない。

 実際、本書も後半になると著者自身もアーティストと名乗り活動していたプレイヤーであったことが語られる。どんなことに思い悩み、苦しんで作品を制作してきたのかが語られる。それを読んでいると前半の嫌な気分がかなり中和された。

 同じ言葉でも誰が言うかによってかなり印象が異なることがある。特に書籍は純粋にバーバルな媒体なので、誤解を与えやすいかも知れない。会話の中では大したことなくても、メールで書くと冷たい印象を与えてしまうのと同じだ。だから、著者の人となりが伺える後半を読んでから、前半を読めば私もニヤニヤと楽しめたかもしれない。

 そんなわけで、私にとっては、人間性のもつ影響力について考えさせられる一冊だった。

アーティスト症候群---アートと職人、クリエイターと芸能人 (河出文庫)