何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

13冊目 氣の呼吸法

『氣の呼吸法』藤平光一 著、読了

2月に体調を崩してから、未だに調子が完全には戻っていない。本書の副題は「全身に酸素を送り治癒力を高める」というもので、呼吸法を取り入れることで本来の体調を取り戻せればと思い、本書を手に取った。

私は以前から、「呼吸法」には少し興味があった。これまでにも導引術や仙術、瞑想など入門書を何冊か読みかじってきた。そうした入門書には、「何秒吸って何秒吐く」「鼻から吸って口から吐く」「丹田に力を込める」「脚の組み方」などの具体的なメソッドが記されてはいた。ただ、いざ実践する段になると、書籍に書いてあるとおりに、きちんと身体を使えているのか心許ない。やはり本を読むだけでは身体感覚は身につかないのではないかと疑心暗鬼に陥ることが多かった。

本書では、そうしたメソッド(例えば「ドコドコに力を込める」など)はかえって身体に不自然な緊張を生み、氣の巡りを阻害する元になると批判する。そして、著者の提唱する「氣の呼吸法」はそうした緊張を強いるものではない、という。

では、「氣の呼吸法」とはどのようなものだろうか。一言でいうと「正しい姿勢をとって、自然に呼吸をする」というものに尽きる。(このように一言で要約するというのは、著者の意図に反した省略や曲解が含まれるかもしれず、ある意味、卑怯なのかもしれない…)

さて、病院などで、「力を抜いてください」と言われて困った経験はないだろうか。意識しないようにと思うと、かえって意識をしてしまうというのは、人間の困った性質のひとつかもしれない。だから、「自然に呼吸しましょう」といわれても、その「自然」が私にはわからない。そんなわけで、本書の提唱する「氣の呼吸法」は私には難しそうだなと思った。さらに言えば、副題を見るかぎり、「氣の呼吸法」を実践すれば、治癒力を高めることが期待できるのであろうが、それがどういう生理学的機序に基づくのかという説明が、本書にはいささか不足している気がした。

著者は「氣の呼吸法」の実践者である。著者は「氣の呼吸法」が正しく行われているかどうかを、自分自身の身体感覚(暗黙知の次元)で判断できるだろう。でも、私には正しい呼吸ができているときの身体感覚はインストールされていない。今、マインドフルネスが注目されているが、その元となったヴィパッサナー瞑想は、「こういうときはこうしましょう」という具体的な対処法がメソッドとして確立されている。その具体性ゆえに、初心者にも取り入れやすく、広まっているという側面もあると考えている。

あるメソッドのために不自然な緊張が生まれるというデメリットもあるだろうし、かといって「自然に」といわれても、具体的にどうすればいいのかわからなくなってしまう…なるほど難しい問題だ。私はある技術を必要とする職に就いているが、技術の伝承とは、師から弟子への身体感覚の移植と言いかえることができるだろう。本書を読みながら、身体感覚を言葉で伝えることの難しさについて、改めて考えさせられた。