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何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

6冊目 ヨブ記

旧約聖書 ヨブ記』 関根正雄 訳、読了

 

2月上旬、姉が難病であることが判明した。そこに運命の理不尽さを感じた私は、同じく理不尽な神の試練に苦悩し続けたというヨブの物語のことを思い出し、この機に読みたいと思った。

 

読んでみての率直な感想は、今回の読書体験では、本書は私の心の要求には答えてくれなかった。神が与えたもうた理不尽な試練に対し、ヨブはどのように嘆き、苦悩し、受け入れるか、あるいは拒絶し、絶望するか。その姿がどのように描かれているか、を期待しながら読んだが、本書は、そのような現代的な心理描写はほとんどなかったからだ。内容の殆どは「私は正しい!」「いや、君は間違っている!」という議論に割かれている。

 

神を畏れ敬い、道徳的にも正しく生きてたにも関わらず、ヨブは神の試練により、家族、財産、健康をことごとく失う。それでもヨブは、

「われわれは神から幸いをも受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」

といってその試練を受け入れようとする。

が、次のページになると突如として神を呪う言葉を吐く人物に豹変する。

さらに、 

彼ら(年の若いものたち)の父たちはかつてはわたしがいやしめて

わが群の犬どもと一緒にすらしなかったのに   〈()内、引用者補足〉

という他のひとを見下すような台詞もある。こういった箇所を読むたびに「?」となってしまう。善人で、道徳的にも正しい男のはずなのに、人を見下したりしてたの?と思ってしまう。

 

本書?が記されたのは、大昔のことである。現代的な倫理・道徳観で読むとちょっとわかりづらい点もあるのだろう。そのうえ、冒頭と終末以外は、詩文形式で記されていることも、私には消化不良の一因になったのだと思う。

さらに解説を読んで納得したのだが、本書?は全四二章から成るが、一〜二章と四二章七節(これらの部分だけは散文形式で記されている)の間に、詩文形式の部分が挟まった構造をしている。これは元来別の由来をもつ民間伝承が混ざったり、後の時代に加筆されたりした可能性が高いことを示唆しているという。なるほどそうした歴史背景によって、ヨブの人物描写や、物語の流れに一貫性がないように、私には思われたのだろう。

 

一冊の本の内容を(それが自分を納得させる程度のレベルだとしても)つかむためには、やはりその本が書かれた背景を知らなければならないのだな、と今回の読書体験を通じて、改めて強く感じさせられた。そして今の私は、本書をつかみとるためには、あまりにものを知らなさすぎたように思う。Podcastで配信されていた吉本隆明さんの「苦難を越える〜『ヨブ記』をめぐって」という講演も参考に聞いてから本書に臨んではみたが、やはり二千数百年以上の歴史を持つ本書は、生易しいものではなかった。

 

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)

旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4)