何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

4冊目 龍馬史

『龍馬史』 磯田道史 著、読了。

 

昨年の下旬、米粒写経居島一平さんの動画にハマってから、にわかに歴史に興味を持つようになった。昨年末、歴史好きの友人にそのことを話したら本書をプレゼントしてくれた。

 

本書は坂本龍馬に焦点を絞り、彼の生涯を追うことで幕末史全体を俯瞰しようというもの。

幕末史が複雑でわかりにくい理由はいくつかありましょう。まず、登場する集団が多いということがあります。(中略)そのうえ、幕末史には概念用語が頻出します。(中略)

 そういうこともあって、私は、坂本龍馬の生涯をたどるうちに、自然と、幕末史の体系的知識が身に付くような簡潔な書物があれば、どんなによいだろう、と考えるようになりました。そこで本書のような歴史叙述を試みました。

 

私にはある人間観、というか人間を理解・整理するときに用いている2つの軸がある。

一つは「リアリスト〜ロマンチスト」という軸。

これは『ルパン三世 ルパンvs複製人間』の中でマモー京介が、「ルパンは夢を見ない!!」とのけぞるシーンをみてピ〜ンときた。

「ロマンチスト」は、遠足の前日、明日のことが楽しみで眠れず、遠足の当日、昨夜の想像のほうが楽しくてチョッピリがっかりするタイプ。

「リアリスト」はその逆で、遠足の当日に起こることの中から楽しみを見つけだそうとするタイプ。

 

もう一つは、「革命家〜公務員」という軸。

これは『地下室の手記』を読んでいてビビビッときた。

「革命家」は、現実を変えるために行動できる、あるいは変えられると信じているタイプ。

「公務員」は、現実に対して不満はあるが、せいぜい冷笑的に対するだけで、現実を変えようとはしない、あるいは変えられるとは思っていないタイプ。

 

この2つの軸の妥当性はともかく、本書を読みはじめて、すぐ、龍馬はこの2つの軸で作られる「リアリスト−革命家」の象限に入る人物だと思った。

 

龍馬は決して単純な平和論者ではなかったし、時代の大変革が起こる過程では、ある程度の犠牲がでるのはやむを得ないと考えるリアリストでもあったのです。

 

私が重要視するのは、龍馬が誰よりも早く海軍の重要性を理解し、しかも実際に海軍を創設して自ら船を動かして実践を戦った、ということなのです。海軍が重要だということに気がついた人は、ほかにもいました。しかし、それを後先考えずに実行に移したのが龍馬だったのです。

 

著者自身、このように記していることからも、私の人間観による龍馬の捉え方もあながち間違っちゃいないと思う。

 

本書を読んでのもう一つの大きな感想は、龍馬は武士ではなく「ビジネスマン」っぽい人だったんだ、ということだ。

 

私の場合は『お~い竜馬』の影響で、龍馬に対して、優しくて、思いやりがあり、小さいことにこだわらず、常識にとらわれず、飄々と大きな夢にむかって生きた英雄的な人物像を勝手に抱いていた。

でも、(これは本書の最も優れている点のひとつだと思うが)そういった創作の中の「リョウマ」ではなく、飽くまでも歴史的資料に基づいて、そこから立ち上がってくる「リョウマ」をつぶさに見てみると、彼は決して雲ひとつない大空のような人物だったわけではないようだ。

例えば、龍馬は薩摩や長州に武器を売っていた。それを武士社会の常識にとらわれぬ自由で合理的な精神を持った男だった、と好意的にみることもできるが、現象だけを取り上げれば、武器を売る「死の商人」だったという見方もできる。 

また、海援隊が運用していたいろは丸が紀州藩の船に衝突して沈没したときには、不相応な額の賠償金をふっかけた「ゆすり屋」的な側面もあったらしい。

 

ですから龍馬を単純に颯爽たる志士と考えるのは、必ずしも適切ではありません。彼の本質は合理主義者の「タフネゴシエーター」であり、相手によって表現や主張を変えて、とにかく自己の目的を貫徹するために、見事な交渉をつづけていくところに本領があるのです。

 

それって、まるで遣り手のビジネスマンじゃないか!

 

龍馬のことが好き過ぎる人からしたら、もしかしたら龍馬のこうした一面は嬉しくないのかもしれない。けれど、私はむしろ本書を読んで、龍馬だって「クールなふりをしていても夜更けには納豆を食う」ようなワレワレと同じ血の通った人間だったような気がして、嬉しくなった。

 

龍馬を龍馬たらしめた人物、時代、思想などについても知ることができる一冊だった。とてもいい読書体験をさせてくれた友人に感謝したい。

 

 

龍馬史 (文春文庫)

龍馬史 (文春文庫)