何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

21冊目 モモ

『モモ』M.エンデ 著、読了

 

 最近、一冊の本を完読する集中力が衰えてしまった。最後まで読み終えた本の感想しか記さないというルールを設けたために、なかなかブログを更新できずにいた。でも、衰えた私をして最後まで読み切らせるほどの名著を読み終えたので、久しぶりにブログを更新する運びとなりました。

 読んだことはなくても、その存在を知らないという人は少ないのではないか。本書は、それくらい有名な一冊だろう。私もいつか読もう、と買って置いてはあったが、著者の『はてしない物語』があまりにも素晴らし過ぎたため、如何に名著の誉れ高い本書も、『はてしない物語』には及ばないだろう、と高を括って、先延ばしになっていた。だが、読書家の友人の彼女さん(友人も読書家だが、ここでは「読書家」は彼女さんの方にかかる)が、オールタイムベストな一冊として本書を挙げておられたのをきっかけに、手に取った次第です。

主人公モモは特別なちからを持っているわけではない。ただ、ひとの話をよく聞くことができるという才能を持ったの女の子。でも、この設定だけで私は泣いてしまった。

ひとが満たされるときって、有名になったり、お金儲けしたり、モテているときでは、実はない。話を聞いてもらっているときだ(と思う)。だって、話を聞いてもらうってことは、自分に向き合ってもらうってことなのだから。でも、近年、コミュニケーション能力の高い人材が求められたり、阿川佐和子の『聞く力』がベストセラーになったり、つまり、それだけひとの話を聞けない = ひとと向き合うことができない人が多いってことなのだろう。

 小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。

 でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことができる人は、めったにないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能を持っていたのです。

 モモに話を聞いてもらっていると(以下略) 

 ひとと向き合うのが苦手な人が、昔に比べて増えたのかどうか、私にはわからない。でも、話を聞くことの難しさなら、実感としてわかる。真剣に相手に向き合って話を聞くということは、ほとんど不可能に近いんじゃないかとすら思う。

脳科学的には、人間は一つのことを1分以上考えることができないらしい。(もしかしたらもっと短い時間だったかもしれない)例えば「リンゴ」をイメージしてください、と言われても、そのイメージを1分以上保持し続けることはできない。1分後には、リンゴとは全く関係のないコト、例えば植木等のことを考えているに違いない。おそらく、そうした脳の仕組みも手伝って、相手に向き合い続けることは難しいのだと思う。

その難しさに負けた人間たち、すなわち時間どろぼうに使嗾されて、ますます相手と向き合うことをしなくなった人びとを救うために、モモは孤独な闘いに挑む。

吉本隆明は「言語芸術論」と題した講演会の中で、ドストエフスキーを評して、「ドストエフスキーの小説は、純粋に物語を追ってエンターテインメント小説としても読めるし、もっと深いところで思想書としても読める。だからすごい」という主旨のことを述べていた。この論を借りるなら、本書も純粋に物語としても楽しめるし、一個の思想書としても読めるすごい本だ。

友人の彼女さんとお話しなければ、危うく『モモ』を読まない人生を送る羽目になっていたかもしれない。なんでもそうだけど、食わず嫌いはよくないってことを気づかせてくれた一冊だった。(でも、食わず嫌いするのは読むべき本や観るべき映画に対して、人生が短すぎるからでもあるんだよな…これって時間どろぼうに支配されてることじゃんか!!モモ、ヘルプ ミー!!!!)

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 

最近買った2枚のCD

自分でも音楽をやっていたころ、つまり、主に学生の頃は、仕送りもバイト代もほとんどすべてCDに注ぎ込んでいた。でも、そんな生活も今は昔、特に定額音楽サービスを利用するようになってからは、すっかりCDを買うという習慣をなくしていた。

でも、音楽だけじゃないけれど、ステキにエンターテインしてくださった方には、その対価をちゃんとお支払すべきですよね、と最近思うようになった。そういえば私の尊敬する数少ない人物、菊地成孔氏も「お得」するばかりでなく、「お損」することも大切だと言っていた。そのためには中古CDや定額音楽サービスよりは、ちゃんと「お損」して、正当な対価をお支払したほうがいいでしょう。(本当に正当かどうかはわからないけど)そんなわけで、本当に久しぶりに新品のCDを買ったのでした。

1枚目

BEST SELECTION “noir

BEST SELECTION “noir"(初回生産限定盤B)(DVD付)

音楽を聴いて、夜も眠れないくらい切ない気持ちになったのは、宇多田ヒカルの「First Love」を聴いて以来のことです。声が好き。

 

2枚目 

BIZARRE CARNIVAL(初回限定盤)

BIZARRE CARNIVAL(初回限定盤)

 

私の尊敬する数少ない人物、みうらじゅん氏が某NHKの番組で紹介していた曲、「大人になったら」がぶっ刺さって以来、ステキな棘はまだ抜けていません。今だに夜な夜な傷みます。ちゃんとかっちょいいのに、オーバーグラウンドで活動する数少ないバンド。声が好き。

 

追伸:

以前、「オールタイム・ベストなヴォーカリストって誰?」と尋ねられたとき、咄嗟にジェームズ・カーとお答えました。もちろんジェームズ・カーも大好きですが、あれから何度も自分会議を重ねに重ねた結果、

女性部門:Adele (声が好き)

男性部門:フレディ・マーキュリー (おヒゲが好き)

別格:美空ひばり (声が好き)

ということで最終決定いたしました。遅ればせながらご報告いたします。

いやいや、ちゃんと一人に絞り込めよ!と仰るなら、植木等(歯が好き)と答えます。よろしくお願い申し上げます。

20冊目 冬の鷹

『冬の鷹』 吉村昭 著、読了

 

居島一平加藤陽子両氏の影響で、にわかに歴史に興味を持った私は、楽しく歴史のお勉強に取り組めるよう、歴史小説を読もうと思った。そこで何を読んだらいいのか、しばらく迷っていたが、綿密な取材に定評のある吉村昭がいいのではないかと思いたった。そういえば、以前読んだ本があったはずだと、本棚の奥から引っ張り出してきたのが本書だ。

本書の主人公は前野良沢。副主人公は杉田玄白。辞書も文法書もない時代、不可能とされていたオランダ語の翻訳を、強い信念でやり遂げた二人の物語。実際の翻訳作業に関しては良沢に負うところが大きい。玄白や他の仲間たちは、良沢が翻訳するにあたってサポーターとしての役割を果たした。しかし、大変な苦労の末、念願の翻訳が成り、『解体新書』が出版されてみると、そこに前野良沢の名前はなかった。学者肌で潔癖な良沢は、不完全な翻訳である『解体新書』の出版に反対だった。完璧な翻訳よりも、西洋医学そのものを世に問う方が重要だと考える杉田玄白は、半ば独善的に『解体新書』の出版に動く。

本書において良沢と玄白は対象的な存在として描かれる。良沢を「陰」とすれば、玄白は「陽」である。『解体新書』の成功を機に、医学者としての成功を収めた玄白は、多くの弟子を育て、家族にも囲まれ、裕福な一生を送る。社会的な名声よりも、自らの学業の研鑽に邁進した良沢は、孤独で貧しい老後を送る。

本書を初めて読んだのは、もう10年以上も前になるだろうか。当時は高潔な良沢の生き方に共感した。しかし、今回、読み返してみると、現在の私には玄白に対する共感の方が勝っていた。「医学」ということを主軸に考えてみると、鎖国下の日本において、西洋医学を世に問い、その意義を知らしめることができたのは、玄白の如才ない政治的な才覚と人徳があったればこそ、というふうに読めたからだ。

一方、良沢は「翻訳」に果たした役割は比類ないものであったが、「医学」に果たした役割ということを考えるとどうであろう。

かれは医家であったが、それよりも一層オランダ語研究者であった。かれは、オランダ書を翻訳することに意義を感じていた。 

 

とまれ、私は良沢の理想主義的な生き方に憧れる。一方、「人間」として、人とひととの関係の中で生きた玄白の生き方も立派だと思えた。

本書には、実はもう一人、対象的な人物が描かれている。平賀源内である。良沢と玄白は陰陽関係ではあったが、二人ともブライトサイドを歩んだ。一方、源内はダークサイドに堕ちた人物として描かれる。良沢のように自律的な厳しさを持たず、玄白のように人好きのする性格を持たない私は、実は、源内の生き方にゾッとする共感を得たのかもしれない。

「地に足をつけた生き方をすべし」 本書は、今の私に、そのようなメッセージを送ってくれているように思えてならなかった。

冬の鷹 (新潮文庫)

冬の鷹 (新潮文庫)

 

19冊目 憂鬱と官能を教えた学校(上)

『憂鬱と官能を教えた学校(上)』 菊地成孔 大谷能生 著、読了。

 

私が尊敬する数少ない人物の一人が著者(菊地)である。私はまた、音楽にも関心がある。そんなところから本書を手に取った。手に取ったのは今回で2回目だ。

本書は、「バークリーメソッド」を中心に据えて、音楽史を俯瞰しようとするもの。音楽の歴史は、音楽の記号化、論理化という視角から眺めることができる。そうしたときに、「十二音階平均律→バークリーメソッド→MIDI」という3つのピークポイントが設定できる。という。

それは「音楽の科学化」ということができるように、私には思われた。科学とは公共性をもった知的営みだ。門外不出の、特殊な才能集団だけが行っていた音楽という営みを、記号化、論理化することで、(学ぶ気があれば)誰にでも理解できる公共的なものにしたと読んだ。

本書は音楽史よりも音楽理論に比重が置かれていて、第6講あたりから、実学(音楽理論)の話が多くなってくると、ちょっと文章だけではついていけない感があり、上巻だけで読み終えることにするが、軽妙洒脱かつ鋭い著者らの語りは、読んでいて心地よい。私は書き込みをしながら読書をするのだが、書き込みで真っ赤になる本ほどいい本だと思う。本書は読み返すのが困難なくらい書き込みでいっぱいになった。

いつか鍵盤を片手に、実学部分にもじっくり取り組みたいと思う。

18冊目 科学哲学の冒険

『科学哲学の冒険』戸田山和久 著、読了。

 

先日読んで、今、私が関心を持っていることを整理するために、非常に示唆的な一冊だったので、再読した。以前、はじめて読んだときよりは格段に理解が進んだと思う。ただ、内容や感想は、もう少し読みこなせてから記すことにしよう。本書の内容を身につけるために、「読書百遍」とはいかないまでも、今後も繰り返し、最低10回は読もうと思っているから。それくらい私には意義深い一冊だと思える。

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

 

 

 

17冊目 自分はバカかもしれないと思ったときに読む本

『自分はバカかもしれないと思ったときに読む本』 竹内薫 著、読了。

 

自分はバカかもしれない、と私は常々思っている。一冊の本を読んで、それがすんなり身につくなら、どんなにいいだろうと思う。本を読めば読んだだけ知識が蓄積できるなら、学ぶことはこの上なく楽しいものになるだろう。でも、現実は違う。読み終わって「面白かった!!」と思っても、一晩経てば、内容の9割以上は忘れてしまっている。そんな時、シーシュポスか、或いは賽の河原の餓鬼のような徒労感だけが残り、私はバカだなぁと思う。そこで本書を手に取った。

ここで、またひとつ、自分のバカを上塗りしなければならないが、本書を読み終わったのは連休中のことだった。連休中は、ここぞとばかりに数冊の読んでいたために、この本の感想をここに記しておくのをすっかり忘れておった。あぁ、こんなにもおバカな私。

 

読んだことを忘れてるくらいなのだから、この本は大して面白くなかったのかと言われれば、そうではない。こんなおバカな私に、希望を持たせてくれるようないい本だった。内容を一言で言えば、憂歌団の「嫌んなった」である。

嫌んなった、もう駄目さ

だけどクサるのは止めとこう

陽の目を見るかも、この俺だって

本書によれば、努力と成果は比例関係ではないらしい。つまり、やればやるだけ身に付くようには、人間はできていないらしい。やれどもやれども成果が実感できなくて、俺ってバカかな、と疑心暗鬼に陥るかもしれないけど、それでも続けていると、ある日ポンっと壁を越えることができる。そういう日が必ず来る。だからそれまで腐らずに、コンティニュードゥーイングしようぜ!本書はそういって私を励ましてくれた。

因みに、以前取り上げた『絵はすぐにうまくならない』も同じような内容の一冊だった。「絵を描く→上手に描けない→面白くない→描くのを止めてしまう」という負のサイクルを脱却するために、ハードルを高く設定せず、毎日少しでもコツコツ描き続けることの大切さを説いていた。

 

たまたま同じ時期に読んだ本が、「自分の脳髄博士を信頼することの重要性」を説いていたことには意味があるだろう。多分、今の私に必要な心構えなのだと思う。

「読書百編意自ずから通ず」

本書の始めの方に、この言葉が引用されている。今後はこれを座右の銘に、腐らず焦らず、やっていこうと思う。

16冊目 カラー版 西洋美術史

カラー版『西洋美術史高階秀爾 監修、読了。

こんなはずじゃなかっただろう 歴史が僕を問い詰める(『青空』真島昌利

 そうなのだ。歴史は私たちを問い詰める。問い詰めるというと大げさかもしれないが、現在は近い過去から生まれる。全き可能性の中から、任意の現在が選び出されるわけではない。だから、歴史を学ぶことは現在を学ぶことに他ならないと言える。

現代の芸術は「なんでもあり」ともいえるほど、多様性に満ちている。芸術がこれほどの多様性を獲得するにも、やはり歴史があった。その大きな流れを知りたいと思い、本書を手にとった。

高校では世界史を選択したが、全然興味が持てなかった。そんな私には、いくら興味がある美術領域の歴史であるとしても、古代〜バロック辺りまでは退屈で、なかなか読み進められなかった。でも、まあ、お勉強なのだから、退屈なのは仕方ない。近現代になると、好きな芸術家も増えてきて、楽しく読むことができた。

乱暴にまとめると、前時代の価値観を否定することで美術は発展してきたと言えそうだ。このような否定によるダイナミズムは美術に限らないかもしれない。科学など他の分野にも当てはまるだろう。何れにせよ、歴史が下るに連れ、否定の速度が早くなり、現代に至って、もはや否定に値する強力な権威が存在しなくなった。そして「なんでもあり」になった。だが、「なんでもあり」は「なんにもない」と同義である。

新たな価値観はもはや生み出せないのか?

人間の想像力はすでに限界に達したのか?

仮に全ての表現がやり尽くされたとして、今、表現することに何か意味はあるのか?

などなど、興味深い疑問がたくさん浮かんできた。やはりゲージツは面白い。

カラー版 西洋美術史

カラー版 西洋美術史

 

15冊目 絵はすぐに上手くならない

『絵はすぐに上手くならない』 成冨ミヲリ 著、読了。

学生時代、ギターがうまくなりたいと思っていた。でも、周囲には教則本とかで学ぶのはカッコ悪いという雰囲気があった。ストリート・ワイズというのか、お勉強をするのではなく、実践の中で体得していくほうがカッコ良い、という雰囲気があった。その結果、もともと才能のない私はあまり上達しなかった。そして、就職すると、そのような価値観が逆転した。何かの技術を身につけるには、やはり体系的に学ぶべきだということを教わった。技術は知識に、知識は技術によって裏打ちされるものだと思い知らされた。

子供の頃から絵を描くのが好きだった。今でも絵が上手に描けるようになりたいと思う。そこで絵を描くという技術についての基礎的な知識を得たい。そんな理由から本書を手に取った。

本書はとてもいい本だと思う。なぜというに、本書は読者の目線に立って記されているからだ。著者は自己啓発本やビジネス書をたくさん読んでおられるのだろうか、本書の読者を突き放さない文章は、その種の書籍に通じるものを感じさせた。例えば「絵がうまくなりたい」っていうけど、「上手な絵」ってどういうことだろう?という前提から話をすすめてくれる。そして、そのとき定義された「上手な絵」を描くにはどうすればいいか、というふうに論を展開してくれる。だから本書は「こう描けばいい」と上意下達に説く教則本ではない。タイトルの通り、小手先の技術で絵を描くことを教えるのではなく、一生をかけて、絵を描くということを通じて自らを磨くための心構えを教えてくれる一冊だった。

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

14冊目 幻獣標本箱

『幻獣標本箱』柄本創 著、読了。

GW前に、友人がプレゼントしてくれた本。

以前、『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』という本を読んだことがある。10年以上の前のことなので、内容はほとんど憶えていないが、ろくろ首などの空想上の生物の身体的特性を、現実の解剖学、生理学、生物学などの知見に基いて考察するという、アカデミックで知的エンターテインメントに満ちた一冊だったと記憶している。本書、『幻獣標本箱』もそれに類するエンタメ性を持った一冊だ。

本書は、日ノ丸大学生物学部応用生物学科形而上生物研究室wの多々良源五郎教授や、謎多きロシア人科学者アレクサンドル・ヒロポンスキー氏wwらが採集したという幻獣の標本が紹介するものだ。妖精やドラゴン、マンドレイクなど、私たち一般庶民には、絵本や物語の中でしかお目にかかれない生き物の標本が、解説付きで紹介されている。解説のほとんどは「今後の更なる調査・研究が必要である」とされている。これは、発見された個体数があまりに少ないために、こうした学問領域の研究が思うように進まないことに由来するものと想像される。

ももう20年早く本書に出会っていれば、形而上生物の研究者を目指していたに違いないw若い読者が増えて、この領域の研究が、今後発展することを強く望む次第であるwww 

幻獣標本箱

幻獣標本箱