何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

5冊目 占星術殺人事件 改訂完全版 ※ネタバレあり

占星術殺人事件 改訂完全版』 島田荘司 著、読了 

 先日、急に身内の付き添いで病院に行くことになった。病院に行くときは、待たされるのが常であるため、必ず本を一冊持っていくのだが、このときは、ほんとうに急だったため、カバンに本を入れ忘れてしまった。案の定、かなり待たされる羽目になりそうだったため、病院の売店で、本を買うことにした。品揃えにはあまり期待していなかったものの、本書を見つけたので、即購入。本書については、居島一平氏が、トークライブの中で触れており、いつか読んでみたいと思っていたからである。(なので、「銀英伝」は、ちょっとおやすみになってしまった)

【あらすじ】ある画家が殺された。彼は6人の女性の身体から、それぞれ一部分づつを切り取って、「完全な肉体」を持つひとりの女性(アゾート)を創作しようと計画していた。 彼の死後、娘たちが、次々と身体の一部分を失った死体として発見される。猟奇的な計画をたてた画家はすでに死んでいる。では、誰が……

 私は、ふだんほとんどミステリーを読まないので、自分で謎を解こうなんて思って読んでいはいなかった。でも、複数の遺体を組み合わせることで、5人の遺体を6人分に見せかけることができるんじゃないの?と漠然と思いながら読んでいた。そしたら、その通りのトリックだったので、驚いてしまった。当然、細かいトリックがすべて解けたというわけではないし、まぁ、これはビギナーズ・ラックというか、ミステリーのいろはを知らないがゆえに、かえってミス・ダイレクションにはまらずに済んだため、正解に近づけたのだと思う。

 そんなことより、(たぶんまちがっていると思うが)「ローラーコースター・リーディング」というのだったか、とにかく、いちど読み始めたら、ページをめくる手が止まらなくなる、という読書体験を、久しぶりにした。最初、画家の遺した猟奇的な殺人計画が示されるのだが、そこで占星術に関する理論が展開され、彼が自分の計画の正当性を主張する部分は、特に面白く読めた。このあと、どんな物語が展開するのだろう、とドキドキ、ワクワクしながら、逸る気持ちを抑えつつ、一行一行を読んでいく、というのは、あるいは、はじめての体験だったかもしれない。普段は、読んんでは立ち止まり、あれこれ考えたりするのが、好きだったりもするものだから。そういう意味で、とても新鮮な読書体験ができた一冊だった。

占星術殺人事件 改訂完全版 (講談社文庫)
 

4冊目 銀河英雄伝説4〜策謀篇

銀河英雄伝説4〜策謀篇』 田中芳樹 著、読了

本巻の主要トピック

銀河帝国正統政府樹立(エルウィン・ヨーゼフⅡの亡命)

・「神々の黄昏」作戦発動(イゼルローン攻防戦〜フェザーン占領) 

  原作を読んでいて、気になったシーンがあると、アニメ版ではどう描かれていたのか、ときどき比較しながら読み進めるのが、ひとつの楽しみになってきた。それで気づいたのだが、「銀英伝」にどハマりする原因となったシーン、それが実はアニメオリジナルだったらしい。

 そのシーンとは、ヤンが人間と他の生物との違いについて語るシーンだ。本巻ではなく、第3巻に収められているので、前回のブログで取り上げるべきだったが、失念していた。

 それまで私が知っている「人間の定義」では、“言葉を持つ”とか“道具を使う”とかいったものが代表的だった。他には、“遊ぶ”とか“笑う”などがあった。確かに、それらは人間に特徴的なものかもしれない。だが、そういったものの原始的な萌芽は、すでに他の生物にもみられるだろう。イルカやシャチなどは、鳴き声によるコミュニケーションで、かなり高度な集団行動を行うし、ある種のトリやサルは、道具を駆使して、エサを獲得したりする。そう考えると、ヒトと動物を線引する定義としては、いささか切れ味に欠ける気がしないでもない。そんな思いを、長年抱えていたのだが、件のシーンによって、そのモヤモヤが解消した。

 アニメ版 本編 35話より

生物は子孫に遺伝子を伝えることでしか、ながい時の流れの中で己の存在を主張することはできない。だが人間だけが歴史をもっている。歴史をもつことが人類を他の生物とちがう存在にしているんだ。だから私は歴史家になりたかったんだ(ヤン) 

  確かに、人間以外の生物で歴史をもっている生物は見当たらない。歴史らしきものをもっている生物も、すぐには思い浮かばない。この定義は、なかなかいい気がする。しっくりくる。しかし、それは私がものを知らなさ過ぎるだけで、歴史あるいは歴史らしきものをもつ生物が、すでにいるのかもしれない。それはそれとして、具体的な反証に出会うまでは、私の中では、「歴史をもつ生物」というのが、暫定的な「人間の定義」としておきたい。

アニメには、時間的制約があるため、原作そのままを再現できるわけではないから、このシーンの、この台詞が、別の巻で登場するかもしれない。でも、今のところ、アニメにしか登場していないことから考えると、「銀英伝」は、原作もアニメもそれぞれに味わわなければ、味わい尽くすことができないということだ。それはすなわち、二度楽しめるということでわないか!!!(マンガ版もあり、しかも複数の漫画家によって描かれているので、それらを含めれば、三度、四度と楽しめます!!!!)

 「独裁者という名のカクテルをつくるには、たくさんのエッセンスが必要でね。独善的でもいいからゆるぎない信念と使命感、自己の正義を最大限に表現する能力、敵対者を自己の敵ではなく正義の敵とみなす主観の強さ、そういったものだが…(以下略)」(ホワン) 

「どれほど非現実的な人間でも、本気で不老不死を信じたりはしないのに、こと国家となると、永遠にして不滅のものだと思いこんでいる“あほう”な奴らがけっこう多いのは不思議なことだとは思わないか」(ヤン)

 軍事が政治の不毛をおぎなうことはできない。それは歴史上の事実であり、政治の水準において劣悪な国家が最終的な軍事的成功をおさめた例はない。強大な征服者は、その前にかならず有為の政治家だった。政治は軍事上の失敗をつぐなうことができる。だが、その逆は真でありえない。軍事とは政治の一部分、しかももっとも獰猛でもっとも非文明的でもっとも拙劣な一部分でしかないのだ。その事実を認めず、軍事力を万能の霊薬のように思いこむのは、無能な政治家と、傲慢な軍人と、彼らの精神的奴隷となった人々だけなのである。

銀河英雄伝説〈4〉策謀篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈4〉策謀篇 (創元SF文庫)

 

3冊目 銀河英雄伝説3〜雌伏篇

銀河英雄伝説3〜雌伏篇』 田中芳樹 著、読了

 本巻の主要トピック

・イゼルローン回廊遭遇戦(ユリアンの初陣)

・ヤン、査問会議にかけられる

・第8次イゼルローン攻防戦(ガイエスブルグ要塞ワープアウト) 

  相変わらず、とてもおもしろい。読んでいる間、ずーっとエンターテインされている感じ。ありきたりな感想だが、こんな物語を記せるなんて、著者の頭はどうなっているのだろう。とつい思ってしまう。歴史に造詣が深いということは、読んでいてひしひしと感じる。近年、私も歴史に興味を持つようになったから、そういう面白さも加わって、以前にもまして、この物語りに没入できるようになった気がする。

「三〇歳をすぎて独身だなんて、許しがたい反社会的行為だと思わんか」

「生涯、独身で社会に貢献した人物はいくらでもいますよ。四、五〇〇人リストアップしてみましょうか」

「おれは、家庭をもったうえに社会に貢献した人間を、もっと多く知っているよ」(キャゼルヌ、ヤン)

「……国防には二種類の途がある。相手国より強大な軍備を保有することが、その一であり、その二は、平和的手段によって相手国を“無害”化することである。前者は単純で、しかも権力者にとって魅力的な方法であるが、軍備の増強が経済発展と反比例の関係にあることは、近代社会が形成されて以来の法則である。自国の軍備増強は、相手国においても同様の事態をまねき、ついには、経済と社会のいちじるしい軍備偏重の畸型化が極限に達し、国家そのものが崩壊する。こうして、国防の意思が国家を滅亡させるという、歴史上、普遍的なアイロニーが生まれる……(中略)……古来、多くの国が外敵の侵略によって滅亡したといわれる。しかし、ここで注意すべきは、より多くの国が、侵略に対する反撃、富の分配の不公平、権力機構の腐敗、言論・思想の弾圧にたいする国民の不満などの内的要因によって滅亡した、という事実である。社会的不公平を放置して、いたずらに軍備を増強し、その力を、内にたいしては国民の弾圧、外にたいしては侵略というかたちで濫用するとき、その国は滅亡への途上にある。これは歴史上、証明可能な事実である。近代国家の成立以降、不法な侵略行為は、侵略された側でなく、じつに侵略した側の敗北と滅亡を、かならずまねいている。侵略は道義以前に、成功率のうえからもさけるべきものである……」(ヤンの著述)

「いいか、柄にもないことを考えるな。国をまもろうなんて、よけいなことを考えるな!片思いの、きれいなあの娘のことだけを考えろ。生きてあの娘の笑顔を見たいと願え。そうすりゃ嫉み深い神さまにはきらわれても、気のいい悪魔がまもってくれる。わかったか!」(ポプラン)

「権力は一代かぎりのもので、それは譲られるべきものではない、奪われるべきものだ(中略)私の跡を継ぐのは、私とおなじか、それ以上の能力をもつ人間だ。そして、それは、なにも私が死んだあととはかぎらない……」(ラインハルト)

「ホットパンチをつくりましょう。ワインに蜂蜜とレモンをいれて、お湯で割って。風邪にはいちばんですよ」

「蜂蜜とレモンとお湯を抜いてくれ」

「だめです!」

「たいしたちがいはないじゃないか」

「じゃ、いっそ、ワインを抜きましょうね」(ユリアン、ヤン)

銀河英雄伝説〈3〉雌伏篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈3〉雌伏篇 (創元SF文庫)

 

2冊目 銀河英雄伝説2〜野望篇

銀河英雄伝説2〜野望篇』 田中芳樹 著、読了。

 本書の主要トピック

・帝国の内戦(リップシュタット戦役)

・同盟のクーデター(ドーリア星域会戦など)

・ラインハルト帝国宰相に(実質的な独裁体制を確立)

 そしてもうひとつ、この巻の中で「銀英伝」という長大な物語の中でも、最も重要なエピソードの一つが描かれる。だが、それについては触れないでおくことにする。

 私は、いわゆるネタバレが気にならない人間だ。だが、「銀英伝」については、少しの後悔がある。私が、初めて「銀英伝」を観ていた時期に、某ネットラジオで、あるエピソードについて、ネタバレをされてしまった。それでも、私にとって、「銀英伝」は最高に面白いアニメ作品となったのだが、もし、そのエピソードについて、何も知らずに観ることができていたら、もっと大きな衝撃を受けていたに違いない。世の中で、ネタバレを嫌がるひとたちの気持ちが、とてもよく理解できた。

 そんなわけで、この巻の中で描かれるエピソードについても、触れないでおく。もし、仮に、万が一、ありえないことだけど、何かの間違いで、「銀英伝」にまだ触れたことがないひとが、この銀河の中にいた場合、そのひとが初めて触れたときのことを配慮して。

 

「もうすぐ戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。(中略)かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば、たいした価値のあるものじゃない……それでは、みんな、そろそろ始めるとしようか」(ヤン)

 

「政治の腐敗とは、政治家が賄賂をとることじゃない。それは個人の腐敗であるにすぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判することができない状態を、政治の腐敗というんだ。」(ヤン)

 

「そして、当分はおたがい会わないようにしましょう」

「姉上!」(中略)

「疲れたら、わたしのところへいらっしゃい。でも、まだあなたは疲れてはいけません」(ラインハルト、アンネローゼ)

銀河英雄伝説〈2〉野望篇 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説〈2〉野望篇 (創元SF文庫)

 

1冊目 銀河英雄伝説1〜黎明編

 『銀河英雄伝説1〜黎明編』  田中芳樹 著、読了

 今年は読書に時間を割こうと思う。目標は、1週間に1冊。年間、約50冊だ。

 今年の1冊目は何にしようかと考えていたら、今年、いよいよ「銀英伝」のアニメの新版が放映されることを思い出した。ならば、その前に原作を読んでおきたい。

 原作を読むのは初めてではない。私が「銀英伝」に初めて触れたのは、4〜5年前のこと。旧アニメ版を観た。そのあまりの面白さに衝撃を受け、その後、直ぐに原作(本伝 全10巻)を購入した。だが、今までに全巻は読了できずにいた。

 小説版が面白くなかったから、途中で読むのを止めてしまったわけでは、決してない。当時、私は複数の本を同時に読む習慣があった。そのため、4巻くらいまで読み進めながらも、他の本にも取り組んでいるうちに、だんだん間が開くようになる。すると、頭の良すぎる私は、ストーリーを直ぐに忘れてしまい、途中から再開するということができずに、断念する。そういうパターンを繰り返していたに過ぎない。

 そんな心残りをずっと抱えていたことだし、新アニメ版が放映されるこの機に、原作を全部読み通しておきたいと思い、本書を手に取った。(近年は、同時並行読みを止めているので、今回は読み通せると思う)

 ちなみに、道原かつみ版、藤崎竜版のコミカライズ作品も、いずれも途中までだが、読んだ。アニメは、その後、本伝110話を2回、通して観た。演劇やミュージカル版などの実写版には触れたことがない。

第1巻の主なトピックは、以下の通り。

アスターテ会戦

・同盟軍によるイゼルローン奪取

・アムリッツァ会戦

 物語の内容はおろか、本作品の魅力さえ、もはや説明する必要はないだろう。もし未見の方がいたら、何はともあれ「必見です!」とだけ言っておきたい。

 今はただ、新アニメ版がどうなるか、ということだけが関心事だ。私にとって、旧アニメ版を観る上での、大きな楽しみのひとつに、ヤン一党が交わす、皮肉とユーモアに満ちた会話があった。彼らの間に醸し出される、温かい雰囲気は、新版ではどのように表現されるのだろう。今回、本書を読んでいても、登場人物の姿や台詞は、自然と、旧アニメ版の容姿や声で再現されている。それくらい、原作に馴染んだ旧作を踏まえて、現代のクリエイターたちが、本作をどのように描くのか、とても楽しみだ。

恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもののぞみはしない。だが何十年かの平和でゆたかな時代は存在できた。吾々がつぎの世代になにか遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和がいちばんだ。そして前の世代から手わたされた平和を維持するのは、つぎの世代の責任だ。それぞれの世代が、のちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和がたもてるだろう。(中略)要するに私の希望は、たかだかこのさき何十年かの平和なんだ。(中略)私の家に一四歳の男の子がいるが、その子が戦場にひきだされるのを見たくない。そういうことだ」(ヤン)

「中尉…私はすこし歴史を学んだ。それで知ったのだが、人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。人は戦いをはじめるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年もつづけてきた…」(ヤン) 

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

 

 

来年の目標

 今年も今日でおしまい。振り返ると、今年は試練の年だった。姉が発病し、私自身もまぁまぁの病をした。でも、仕事の上で、新たに向かうべき方向を発見できた年でもあった。来年は日本経済もよくなりそうだし、いい年になりますように。

 当ブログを振り返ってみると、今年1年間に読んだ本は27冊。うーん、ちょっと少ない。原因は、スマホゲーにハマりすぎということに尽きる。来年はもうちょっと、読書に重心をおくことにしよう。以前、年間100冊読む、と目標をたてて読んだときは、追われるように読んだため、読書そのものをあまり味わえなかった。その反省も踏まえて、僕の読書力として適当なペースは、一週間に一冊くらいだろうか。そんなわけで、年間50冊を目標に、このブログもひっそりと続けていきたい。

27冊目 アップデートする仏教

『アップデートする仏教』 藤田一照 山下良道 共著、読了

 私は、特別な信仰は持っていない。けれど、宗教、中でも仏教には少なからず興味がある。特に原始仏教については、最新の宇宙物理学や脳科学に通じるところがあるようで、ことさら関心がある。そんなわけで、関心のおもむくままに、本書を手に取った。

  本書は、2人の曹洞宗の僧侶の対談を書籍化したものだ。その趣旨は、日本の伝統的な仏教を、タイトル通り、そろそろアップデートしませんか、という提案だ。

  著者らは、仏教には3つの異なるヴァージョンが存在すると言う。

  1つめは「仏教1.0」で、これは日本の伝統的な仏教を指す。すでに形骸化し、実質的な意味を失っているように見える、という特徴を持っている。

「仏教1.0」の状況を喩えて言うと、病で苦しむ人が山ほどいて、「病院」という看板のかかった場所もたくさんあって、そこには医者や看護師もいる。だけど、病人のほうは医学が自分の病気を治してくれるとは思っていないし、医者や看護師もそれを信じてはいない。でも病人は病院に出入りしている。そこで何をしているかといえば、庭で紫陽花の花を見たり、食堂でヴェジタリアンの食事をしたり、病室で宿泊したりしている。でも、医療行為だけは行われていない。こういう不思議な状況が日本の仏教の現状なんじゃないですかね。

 2つめは「仏教2.0」で、これは最近日本に定着しつつある、外来の仏教(著者らは主にテーラワーダ仏教を念頭に置いている)を指す。仏教を問題解決の方法として提示し、その具体的なメソッドを持つ、という特徴がある。先ほどの病院の喩えでいくと、「きちんと医療が行われている病院」ということになる。

 3つめは「仏教3.0」で、これこそ目指すべき仏教の姿を指す。しかし、これは著者らが新たに作り上げたものではなく、「実はブッダ道元がもともと説いていたことに他ならない」という。

「仏教1.0」は当然として、「仏教2.0」にも問題があり、これらは「仏教3.0」にアップデートされなければならない。なぜ、著者らがそう考えるに至ったのかを、自身らの歩んできた道程を語ることを通じて、伝えようとする一冊だ。

 後半は、ちょっと、駆け足気味に読んだため、「仏教2.0」の問題点が、いまいち把握できていないのだけれど、「仏教2.0」のメソッドでは、「シンキング・マインド」や「お猿さん」で例えられる「私」を脱却できない、というふうに読んだ。でも、著者(山下良道)は、「仏教2.0」の修行を通じて、「仏教3.0」に開眼したわけで、つまり、「仏教2.0」に根本的な問題があるというわけではないんじゃないの?全面的にアップデートしなくても、「仏教2.1」とかじゃダメなの?と混乱してしまった。

 でも、全体的にはとても興味深く、こういう仏教だったら実践してみたい(仏教は信仰するものではなく、実践するもののようだ)と思った。

アップデートする仏教 (幻冬舎新書)

アップデートする仏教 (幻冬舎新書)

26冊目 やさしい人物画

『やさしい人物画』 A.ルーミス 著、読了

 絵が描けるひと、楽器を演奏できるひとをうらやましいと思う。私もいつか、絵が描ける人間になれたらいいなと思う。絵画のモチーフにもいろいろあるだろうけど、私は、やはり「人間」を描いたものが好きだし、実際、自分でも描きたいと思う。本書は、人物画の入門書の中でも、名著と呼ばれている一冊らしい。そんなわけで本書を手に取った。

 絵を描いたり、楽器を演奏したり、およそ芸術的な営みって、個人の才能/センスによるところが大きい。そう思っていたし、実際、天才的なひとは存在する。でも、「芸術」の「術」は「技術」の「術」だ。テクニック。技。それは学べるはずだし、実際、知識として伝承されてきたはずだ。

 本書は、人物を描くに当たって、どんなところに注目すべきか、ということを丁寧に解説してくれている。こうすれば不自然じゃなくなるよ、という方法論もたくさんあって、さすが名著と呼ばれるだけのことはある、と思った。

 ただ、繰り返し強調されていたのは、基本的なことだったところが印象的だった。それはつまり、ただセンスがあれば、絵がうまくなれるわけではない、ってことなのかもしれない。

 常に基本に忠実であれ。それは、どんな分野にも言えること。王道。そういうことの重みが、身に沁みる年頃になってきたし、実際、もうオジサンといってもいい年齢なのである。

やさしい人物画

やさしい人物画

 

 

25冊目 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(Kindle版) F・K・ディック 著 / 浅倉久志 訳、読了

 『ブレードランナー2049』を観に行くに当り、『ブレードランナー』(ファイナルカット版)を復習していたのだが、やはり私にとっては、少し難しい映画だった。ひとつのシーンに対する解釈が多様で、ボーッと観ていては、容易に置いて行かれていしまう。それはさながら哲学書を読んでいるときのようだ。

 そんなわけで、映画だけでは歯が立たないので、原作を読むことで、映画を補完してみようと思い、本書を手に取った。本当は『2049』を観に行く前に読み終えたかったが、映画館には行けるタイミングに行っておかなくては、ということで本書の読了の方が遅れてしまった。残念。

 本書を読んで、一番感じたのは、原作は、映画版とは大きく異なるということだった。例えば、映画版では主人公デッカードは、一人暮らしをしているが、原作では夫婦である。レイチェルの人物像も映画版とは大きく異なるし、ストーリーもかなり違っている。最大の違いは、「異世界環境下でも作業できる人型(ヒューマノイド)ロボット」のことを、「レプリカント」ではなく、「アンドロイド」と表記していることだろう。

 デッカードが、人間かアンドロイドか曖昧になる部分は、映画『フライトプラン』のように、デッカードが正しいのか、デッカード以外の人びとが正しいのか、読者にもわからなくなるサスペンスな展開で、読んでいてクラクラした。

 映画を観ているだけでは、人間以外の生物が、事実上滅んだ世界が舞台であることなどを、いまいち掴めていなかったが、そのように原作を読むことで補完できるところもあった。ただ、今回の読書では、やはり映画版との違いのほうが、際立って感じられた。

 例えば、見た目も、栄養価も、味も本物のリンゴと少しも変わらない、ただし科学技術によって作り出された、人造のリンゴがあったとしよう。それを「リンゴ」だと言っていいだろうか?少なくとも、「人造リンゴ」と銘打ってなければ、我々には気づけないくらい精巧なもので、食べても、リンゴを食べたのと、寸分たがわぬ生理学的影響を与えるものだとしたら…。リンゴとそれの違いはあるのだろうか?それがリンゴではなく、人間だったら?工場で生産されたそれは、人間と寸分たがわぬ姿かたちをし、能力的にも等しい。何もかも人間と違わない。ただ出自だけが異なる。それは人間と思っていいだろうか?その辺のところが、映画にも共通するテーマだと感じた。

 少しでもわかりにくいと視聴率が取れないため、わかりやすさを至上とする昨今、繰り返しの鑑賞に耐え、鑑賞する度に味わいが増す骨太な作品は、それだけでありがたい。もっともっとブレランを摂取して、より深いところまで潜れるようになりたいと思う。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 

ブレードランナー2049

ブレードランナー2049』 ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督を観た。

 私が年間、映画館に足を運ぶのは、ほんの数回程度でしかない。だが、本作は劇場で観ないわけにはいかんでしょう!! 

 とはいえ、私は「ブレラン上級者」というわけではない。前作はまだ4回しか観てないし、その何れもファイナルカット版だった。『ブレードランナー』の奥深い世界を味わうには、まだまだ長い道のりを要する「ブレラン初心者」である。

 どちらかと言うと、『GHOST IN THE SHELL』や『AKIRA』に親しみ、その先祖としての『ブレードランナー』に敬意を抱いているという方が、今回、劇場に足を運ぼうと思った正しい動機だろう。

 そんな初心者の私だから、的を射たものになるわけはないが、初めて観たフレッシュな感想を書き残しておこうと思う。

 私はネタバレを嫌う方ではない。ネタバレをされても、いい映画なら何度でも鑑賞に耐えられると思っているからだ。でも、『ブレードランナー2049』に関しては、珍しく何の事前情報も入れずにいた。どれくらい何も知らない状態だったかというと、映画館に入るとき、ロビーに貼ってあるポスターを観て、初めてR.ゴズリングが主演っぽいこと、H.フォードが出演するらしいことを知ったくらいだ。

 ブレランを一言でまとめるほど、罰当たりな所業はない。とは知りつつ、敢えて一言でいうと、前作は「人間だと思っていたのにレプリカントだったのかも知れない」というのが主題だったとすると、本作は「レプリカントだと思っていたのに人間だったのかも知れない」という、反転した主題を描いているのだと思った。その後、幾つかの『ブレラン2049』評を見聞きするにつけ、この解釈はあまり筋がよくないことがわかったが、とにかく、初めての映画体験では、そのような誤解をしていたことを、ここに記しておきたい。

 ただ、本作の主題はこれだけではない、というか、割りと早い段階で「レプリカントか人間か」という主題だけが、物語を駆動するエンジンではないことがわかった。ジョイ、ラブ、デッカードなど、主人公以外の登場人物にも、それぞれ主題があり、それぞれがエンジンとして物語を駆動する役割を持っている。つまり、これは主人公Kだけの物語ではなく、複数の登場人物を照らしだす物語だ。

 それ故、およそ3時間の超大作だが、弛んだところはなく、前作への敬意がふんだんに感じられた。本作の賛否は大きく分れていると聞くが、私は賛の側だった。前作も含め、ブレランを、繰り返しくりかえし観たいと思えたのだから。