何冊よめるかな?

本棚の肥やしと化した本たちを供養するため始めたブログ

今年の目標

2018年は、結局41冊しか読まず、目標達成できなかった。お恥ずかしいかぎりだ。

2019年も、昨年同様、年間50冊を目標に読書をするという目標を継続したい。

感想はできるだけ簡潔に記したいが、今年はテキストを精緻に読みたいとも思っているので、ぼぼぼぼぼボリューミーな感想になるかもしれない。

その他には、

・食事のとき、一口最低30回は噛む

・『入門英文解釈の技術70』を毎日10題ずつ解く という目標を掲げた。

はてさて、どうなりますか。

話は変わって、昨年の最も大きな出来事は、このブログがきっかけで、ダニエルさんと乃木さんに繋がれたということだ。お二方から学ぶことは多い。今年もたくさんの影響を、たくさんの人や表現から得られるように、心のアンテナを張っておきたい。

そして、私のアンテナに引っかかったモノゴトをここに少しでも記録していけたらいいと思う。去年は読書感想にほぼ徹したが、今年は気が乗ったら、昔のように雑記もできればと考えている。

 

2018-41 論壇の戦後史

奥武則 著『論壇の戦後史』読了

久しぶりに書店をウロウロしているときに平積みにされている本書を発見。私は最近、埴谷雄高に興味があるので、戦後史の流れの中で埴谷はどんな役割を果たしたのか知りたかった。本書の索引を見ると埴谷の名があったので、即購入。読んでみると、残念ながら戦後論壇における埴谷の位置については記述がなかったが、いずれにしても近現代史は大切だと思っているので、興味深く読めた。

まずは本書の「ウラスジ」(この言葉はタモリ倶楽部で知った!)を引用してみる。

戦後日本は「悔恨共同体」から始まった。終戦直後、清水幾太郎らが作った二十世紀研究所には林健太郎丸山眞男福田恆存など、その後、立場を異にする人たちが集まっていた。以後、彼らが活躍する舞台となる論壇誌は、いかなる問題を、どのように論じてきたのか。そして今、論壇というの言論空間は終焉したのか。「ポスト戦後」論壇の構造に光をあてた決定版。

次に、本書の内容が概括的に記されている部分を引用してみる。

 …一九四五年から五五年まで、小熊(英二)のいう「第一の戦後」の期間の前期、論壇は、敗戦後の「新しい日本」をどのような国として立ち上げるのか、つまりネーション・ビルディングをめぐって、活性化した。非武装中立の国家モデルを語る言説が大きな力を持った。そこでは、多かれ少なかれ、社会主義の明るい未来が共有されていた。 

 一九五一年にサンフランシスコ講和条約日米安保条約が結ばれて、「新しい日本」のかたちにひとまず、一つの結論が出た。しかし、それはいわば暫定的結論でもあった。日米安保条約の改定をめぐって大衆運動が盛り上がった「六〇年安保」を経て、暫定的結論は、その暫定性を取り払われる。

 大衆社会化が急速に進み、冷戦構造がそれなりに安定して続く中、日本は高度成長の時代をひた走る。「六〇年安保」前後から高度成長が終わりに近づいた一九七〇年ごろまでは、長い転形期だったといえるだろう。「戦後」から「ポスト戦後」へと日本がかたちを変えていくまでの転形期である。

 無理やり一言でまとめると、戦後の論壇を追うと、日本は戦後、理想主義から現実主義へと変化する流れにあったことがわかる、ということになるかと思う。戦後、ゼロから国の形を模索した時代、戦争という大きなショックから、「反戦!=世界平和」という強い理念が論壇を支配した。それは当然のことだろうと思う。しかし、世界平和は日本一国で実現するものではない。世界のなかの日本として、その立ち位置を考えていかなければならない。理念は、徐々にリアルポリティックスに移行してゆく。このダイナミズムの中で、ときに激論が生まれた。

それはまた、一部の知的エリートが上意下達に語る大きな理念から、私たち一般人の小さな現実の生活の声へと移行する歴史でもあった。大きな共同体から、小さな共同体への移行といってもいいかもしれない。それは現代に至って、ほとんど「個」にまで分散してしまった。個々の興味がバラバラに成ってしまったので、「みんな」の関心を集める議論の場は成立し難いように思われる。みんな好き勝手いっているだけで、「論壇」は成立しない。それは相手の言葉を受け止めようとしない、つまり言葉の価値が低下した時代とも言える。そんな現代における論壇のあるべき姿とは?という提言で終わっている。

ちなみに、「論壇」とは「国内外の政治や経済の動きなど、さまざまな領域の、広い意味での時事的なテーマについて、専門家が自己の見解を表明する場」と著者は定義している。そして、その具体的な「場」を提供していたのは総合雑誌だった。よって本書は戦後の総合雑誌を読み解くという方法論で記されたものだ。

文章も読みやすく、なにか特定の立場に偏ることなく記されていたため、いい意味で難しく考え込まずに読むことができた。東京五輪2020、大阪万博2025など、既視感のある現代日本の位置を考えるきっかけになりそうな一冊だった

増補 論壇の戦後史 (平凡社ライブラリー)

増補 論壇の戦後史 (平凡社ライブラリー)

 

 

2018-40 悪について

中島義道著『悪について』読了

私にはひとに誇れるような才能は何もない。だが、強いて挙げるとすれば、(こどものころは)哲学的センスだけはあったと言えるかもしれない。

「哲学とはなにか」という問い自体が哲学になりうるほど、この学問を一言で言い表すことは難しいが、「みんなから当たり前に思われていること不思議さに気づくこと」と言っても大きな間違いにはならないように思う。本当は「気づいた後にその不思議さについて徹底的に考え抜くこと」も付記しておかなければならないが、この点に関しては私には全く備わっていない才能なので、ここでは割愛しておこう。

哲学科の授業で、複数の教員から異口同音に「夢の話はしてはいけない」と言われた。どんなにおもしろい夢を見たとしても、それに興味があるのは夢をみた本人だけで、それを聞かされる側にとっては苦痛以外の何物でもない。そして「哲学の諸問題も夢の話と同じだ」というのだ。それが当人にとってどんなに大問題だとしても、大多数のひとにとっては当たり前のことでしかない。彼らはそんな話を聞かされても苦痛以外の何物でもない。

本書はまさにそんな「夢の話」だ。だが、同じ夢を見た私にとってはめちゃくちゃおもしろい話だった。

こどものころ、ヒーローが世界を危機から救った後に、世界中の人から感謝されて、もし、うれしいと感じたとしたら、それは僕たちのためにではなくて、人々から感謝されるためだったということにならないの?と思っていたが、本書はまさにそのような問題についてカント倫理学を基に光を当てている。

こうしたことが問題になると思わないひと、ただの屁理屈にしか思えないひとには、本書はゴミ屑ほどの価値しか持たないかもしれない。しかし、著者と「同じ夢」をみた私にとっては豊かに実った黄金の果実のように貴重な読書体験をもたらしてくれた。

悪について (岩波新書)

悪について (岩波新書)

 

2018-38,39 火星の人(上・下)

A.ウィアー著『火星の人』(上)(下)読了。

少し前、名作の誉れ高い某少年コミックを読んだ。全数十巻のうち、5巻まで読んでやめてしまった。どんな難局に陥っても、最終的には「気合」や「勇気」だけで乗り切ってしまう。今の私にはそれが興冷めにしか思えなかった。

現在、私のテーマは「唯物論」的に世界を見つめるまなざしを獲得することだ。ここでいう「唯物論」とは「なるべく飛躍をしない」という意味だ。

なにか不可解な現象を目の当たりにしたとき、「神の御業」といってしまえばすべて説明できてしまう。なぜなら神は万能だから。なるべく神サマを持ち出さず、人知の及ぶ限り、というか人知の及ぶ範囲を広げるために、思考を飛躍させずに世界をみつめたい。「神」や「奇跡」、「愛」などは便利な言葉だ。飛躍を容易にする。「気合」や「勇気」も便利な言葉だ。でもこうした言葉だけでは現実の世界は説明できない。

本書はめちゃくちゃ面白かった。当然、フィクションであるし「飛躍」はあるのだろう。もしマーク・ワトニーとおなじ境地に立たされたとき、本書と同じことをして助かるはずもない。しかし、徹底的に「飛躍」を抑制した物語は、今の私には読んでいて快感しかなかった。

本書は映画『オデッセイ』の原作であることは言うまでもないが、原作と映画、どちらか一方しか摂取できないとなれば、原作をおすすめしたい。ただ、私は映画をみたあとで原作を読んだのだが、SF初心者の私には文章をイメージするのに映画が大きな助けになったのも事実だ。余裕があれば両方見ても損はしないと思う。

著者の新作も上梓されたらしいし、いつか読んでみたいと思う。 

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

 
火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

 

ボヘミアン・ラプソディ

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。というか、たった今観終わって帰ってきたところだ。

一年くらい前になるだろうか。YouTubeQueenの動画を観ていたら、『ボヘミアン・ラプソディ』のトレーラーが流れてきた。少し興味が湧いたがどうせ私の住む片田舎の映画館には来ないだろうと思っていた。しかし、奇跡的に来ることがわかったので、これは観ておかなくてはならない、といってきた次第だ。

Queen。あまりにも有名だから、当然その存在は中学生くらいから知っていた。大学のころ、友達の家でPV集を観せてもらったことがあったが、その時はそこまでピンと来なかった。その後、車のCMで「Killer Queen」が使われているのを耳にしたとき、「何だ、ただの天才だったのか」と、はじめてこのバンドのマジックにかかった。

とはいえ、私はQueenの熱烈なファンというわけでもない。私にマジックをかけたバンドやミュージシャンはたくさんいて、Queenもその中の大切な1つというに過ぎない。

例え大好きなバンドであっても、私はそこまでバンドのパーソナルな部分に興味はない。Queenについても、フレディがバイセクシャルで、エイズで亡くなった、ブライアン・メイは手作りのギターを使っていた、くらいの知識しかなかった。映画は当然バンドのパーソナルな部分が主になる。何も知らない私にとっては興味深い点も多くあった。フレディは、バイセクシャルではなく、ホモセクシャルだったらしい。そして、勝手な印象としてフレディはバンドの調整役だったんだろうと思っていたが、映画ではフレディこそがバンドをボロボロにした人物かのように描かれていた。それが事実かどうかはわからないが、フレディの存在がバンドの個性にとって小さくなかっただろうことを考えると、それはある程度当然のことだった気もする。

 

あるバンドが売れると、そのバンドに(露骨に)影響を受けたバンドがたくさん現れる。それは当然の流れだろうと思う。でも、Queenの後にも先にも、(露骨に)Queenっぽいバンドはいないように、私には思われる。私はQueenの全盛期を知っているわけではないので、当時はQueenのフォロワーもたくさんいたのかもしれないが、少なくとも私の辞書の中にはQueenに似たバンドはQueen以外にない。でも、それは実は驚くほど稀有なことでもある。

「不世出の」。よく使われる賛美の言葉だが、Queenほどこの形容詞が似合うバンドを私は知らない。

難しいだろうとは思いながら、この映画の中で、なぜQueenは不世出のバンドになり得たのか、その秘密が描かれていたらいいな、という期待もすこしだけ抱いて映画館に行ったが、やはりそこは映画というより評論の領域なのだろう、Queenはやはりただの天才たちとして描かれていた。

映画の方は、まあ、星3つくらい。フレディにとっての「家族」の映画だったともいえる本作だが、ジム・ハットンがなぜそこまでフィレディの中で大きな存在だったのかはよく描かれていなかったように思う。実父との和解もちょっと唐突な気がした。でも、時間的制約の中で一つのバンドの浮き沈みを描かなければならないのだから、(ドキュメンタリーではなく)バンド映画というジャンルにおいては、星3でも十分評価に値する出来栄えだろうと思う。

しかし、それは物語としての映画についてであって、ここに音楽を加味すれば星5だった。劇場の爆音で観るQueenのライブは(当然役者が演じているのだが、曲はオリジナル音源と思われる)それだけでイチオクテンだ。

「やはり音楽はいい!」その信念を補強してくれる映画だった。もっと言えば、「音楽は世界を救う」ということをあらゆる意味で信じさせてくれる映画だったと思う。

個人的には「The Show Must Go On」がどこで流れるか期待してみていたが、エンドロールの最後の最後だったことに少し驚いたことも付記しておこう。

ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ

 

2018-33,34,35,36,37 〈新〉英語をはじめからていねいに(入門編・完成編)、入門英文解釈の技術70

安河内哲也著 『安河内の〈新〉英語をはじめからていねいに(入門編)』

②  同    『安河内の〈新〉英語をはじめからていねいに(実践編)』

③桑原信淑著『入門英文解釈の技術70』

読了

だいぶブログの更新が滞ってしまった。

絵の方はサボってはいない。絵の先生から、「私たちは三次元のものを二次元で描いているのだから、写真をデッサンするより立体をデッサンしたほうがいいよ」と教えてもらったので、その方向で、ほぼ毎日シコシコやっている。

読書の方はだいぶサボっている。速読や部分読みばかりして、一冊読了する気力と時間がない。今年も後、約2ヶ月。目標年間50冊は達成したい。

ある必要があって英語の勉強を始めた。英語くらいある程度不自由なく使えるようになりたいな、との思いは以前からあった。だが、それもそんなに真剣な思いでもなかった。この都度、英語を学ぶ必要が生じたので、これを機に英語学習に本腰を入れてみようかとも思う。望む、望まずにかかわらず、パクス・アメリカーナな現代において、英語が読めるのと読めないのでは、摂取できる情報量が圧倒的に違ってくるだろうし。

①②は各2回ずつ読んだので4冊分としてカウントした。

中学レベルの英語から始まって、センター試験レベルくらいまでカバーしてくれている。読み物として読める。最低、もう一回は読みたい。

③は英文読解のスキルを学ぶもの。一回通読した限りでは、知識が定着した様子はないが、これから二回目は演習問題にも取り組みつつ、知識の定着を目指したい。

ラスト・レコーディング / BILLIE HOLIDAY(45min)

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私がまだ女性ボーカリストものを聴けなかった頃、ジャニスと宇多田ヒカルだけが例外だった。そこに加わった第三の例外がビリー・ホリデイだった。

 

ラスト・レコーディング

ラスト・レコーディング